ベルリン
レーニン像はどこへ行った?【2004年6月27日】
レーニン像があった場所

 このサイトでは、シリーズ「ベルリンの偉人」と題して、ベルリンに建つ人物像/記念碑を特集しているが、どんな人物がベルリンに「祀られている」かを調べる過程で、あのレーニン像はどこへ行ったのかが、疑問に浮かび上がってきた。
 壁が崩れたのが1989年、東西ドイツが統一された、つまり東ドイツが地図の上から消えたのが1990年。あれから15年近くが経とうとしている。東ドイツを支えた精神的・政治的支柱であったソ連邦とそのソ連型社会主義。その象徴であったレーニン像は、映画「グッバイ・レーニン!」の中ではヘリコプターで撤去されていた。当時を知らない筆者は、それが事実と一致するのか判断できないが、ドイツに住み始めた1998年には、近所にはどこからか撤去されたであろうレーニン像が無造作におかれていたのを確かに目にした。
 「祀られている」人を調査するのに利用した1990年刊行の書籍からは、レーニンに関して当時3個の記念碑がベルリンにあったということがわかるが、それらはどうなったのだろう。3個のあった場所は、書籍によれば以下の通りだ。(1)

1.ミッテ地区のSchumannstrae(ドイツ劇場の入り口右側)
2.フリードリヒスハイン地区のFrankfurter Allee 102(Jenerstraeとの角)
3.フリードリヒスハイン地区のLeninplatz

※1.と2.はプレート、3.がお目当ての立像

 場所は、わかった。すぐに地図を持って飛び出したいところだが、東ベルリンの場合、通りや広場、特に人名がついたところは、名称が変更されている場合も少なくない。それらの探索も面白そうだが、ここでのテーマではない。まずは現存する地名なのか、確かめてみよう。
 最新の地図によれば、1.のSchumannstrae(フリードリヒシュトラーセ駅近く)と2.のFrankfurter Allee / Jenerstrae(フランクフルターアレー駅近く)は現存するが、3.のLeninplatz(レーニン広場)だけは、見つからない。レーニン像と一緒に地名も消えてしまったのだろうか。
 幸いにも手元に、1990年に購入したベルリンの地図があり、それには3.も載っている。Leninplatzは、当時はLeninallee(レーニン並木道)と言った通りとLichtenbergerstraeとの交差点に作られていた。今では、前者は、Mollstraeと名前を変えている。そしてLeninplatzは、Platz der vereinten Nationenとなっている。つまり「国連広場」となっているのだ。
 場所は、把握できた。さて地図を持って出かけてみよう。【長嶋】


注:
(1) Endlich, Stefanie / Wurlitzer, Bernd, Skulpturen und Denkmler in Berlin. Berlin 1990.
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フリーランスのリサーチャー、翻訳者、通訳者
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