ベルリン
シュタットバート(市民プール)と市民のモラル【2004年8月29日】
市民プール(シェーネベルク)
 友人がフィットネスクラブに入会した。健康維持のために水泳がしたいと、プール完備のクラブを探して入会したとのこと。会費もけして安くはないだろう。さぞ快適なフィットネスライフを送っていると思いきや、どうもそうではないらしい。
 聞けば、すでに失望してしまったとのこと。理由はプールの不潔さだとか。しかし会員制のフィットネスクラブが、そんな汚い状態でプールを放っておくわけはない。不潔なのは施設そのものではなく、それを利用する人たちだということ。水着に着替えるとシャワーも浴びずにプールへ直行。頭につけた整髪料が水面に油を流したごとく広がるのだとか。シャワーも浴びていない体が浸かった水だと思うと顔を浸ける気にならないということで気の毒に思った。
 しかし私の経験に比べると、友人の言うことは本当なのかと、例外的な経験に過ぎなかったのではないかと疑ってみたくもなる。聞けば、友人がシャワーを浴びていた間、そこを通り過ぎた会員は、皆、シャワーなど浴びずにプールへ向かったということだった。それなら友人が例外的にモラルを守らない会員に遭遇したというわけではないようだ。
 私は、フィットネスクラブには行かないが、市民プールにはよく通っている。しかしこれまで私の友人が経験したようなことは一度としてなかった。市民プールのシャワールームには、プールに入る前には着衣を全て脱いで石けんをつけて体を洗うことと書かれている。日本ならシャワーを浴びるにしても、「着衣を全て脱いで」というのは守られていないことが多いのではないかと思うが、ドイツでは感心なことにほぼ完全に守られている。少なくとも私の見た限りでは、体を洗わずにプールに入るものはいなかった。ドイツでは市民のモラルが高く、衛生観念が発達しているのかと感心したものだった。  一般市民が利用する市民プールで、かくも徹底しているのなら、規律正しいであろう富裕層が通うフィットネスクラブではなおさらと考えたのだが事実は逆らしい。
 とすると市民プールでよく衛生維持のためののモラルが守られているのには、何か別の理由があるように考えざるを得ない。思い当たることがないではない。
 市民プールのシャワースペースの光景を見ると、大人も子供も石けん、シャンプーをつけてこれでもかというほど、よく体を洗っている。これはどうも強いられてそうしているわけではなく、自ら望んでそうしているように感じられる。ひょっとして、ここは彼らのお風呂なのか。
 市民プールのことを「シュタットバート」というが、「シュタット」は都市、「バート」が水槽、入浴という意味なのだが、プールばかりでなくお風呂もバートなのに気がつく。とすると「シュタットバート」は、市民浴場でもあるのか。これは屁理屈かもしれないが、市民プールで楽しむ市民を見ると、単に泳いで水遊びをするだけではないようだ。ドイツ人、そしてドイツに住む外国人にとっても、泳ぐということと体を洗うとことの区別がかなり曖昧なのかもしれない。
 そして市民プールがそのような場として利用されるもう一つの理由として、ベルリンの住宅事情、そして水道料金を挙げることができるかもしれない。ベルリンの住宅事情に関しては詳細を別コーナーに譲るが、市の中心部で昔からの住宅が戦災を免れて残っているようなところ(例、クロイツベルク、プレンツラウアーベルク)では、浴室がついていない住宅も未だにあるようで、もともと浴室がついていなかった住居に後に浴室が設定された場合にも、申し訳程度の電話ボックスのようなものが、台所に置かれているということもあり、もちろんお湯をはるバスタブなどはない。ある程度、まともな浴室がある家でも、給湯はタンク式の湯沸かし器で10分とシャワーが続かないという場合も多い。
 それに水道料金。ドイツの上下水道は、最近でこそ民間資本を導入して効率化を図っている自治体もあるようだが、一般にかなり高いと言うのが相場。そしてそれが是正された場合にも「高い」という評価は人々の記憶の中にはいつまでも残る。ドイツ人に記憶の慣性が強いのはご存知の通り。
 自宅の浴室の設備が整っていないことが多く、たとえ整っていたにしても存分に使うということが懐の痛みに繋がるとしたら、たまにプールに来たときくらい、思う存分水を浴びたいという心性は、容易に理解できる。ベルリンの住宅事情とドイツ庶民の吝嗇が、市民プールでのモラルを規定しているということか。【長嶋】

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bmk Berlin
フリーランスのリサーチャー、翻訳者、通訳者
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