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Clärchens Ballhaus(クレールヒェンス・バルハウス) 【2007年3月19日】
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1階大ホール
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所在地:Auguststrasse 24, 10117 Berlin
アクセス:S Oranienburgerstraße下車徒歩数分
URL:www.ballhaus-mitte.de
プログラム:ボールルーム、アルゼンチンタンゴ、スウィング、コンサートなど
黄金の20年代、ワイマール時代の化石のようなダンスホール。その雰囲気は、一朝一夕に作られたものではない「本物」のノスタルジー。
ダンスホールは一見の価値があるが、本格的な石釜で焼かれるピザも試してみる価値がある。
ウエイトレスの持ってきてくれたメニューには、このダンスホールの縁起が以下のように書かれている。
オープンしたのは1913年9月13日。当時はフリッツ・ビューラー (Fritz Bühler) によって経営されていたが、彼が第一次大戦で戦死した後はその妻であったクララ (Clara) が経営を引き継いだ。「ビューラーのダンスホール (Bühlers Ballhaus) 」(「ダンスホール・ビューラー」といったところか)と呼ばれていたホールは、これによって「クレールヒェンス・バルハウス (Clärchens Ballhaus)」つまり妻の名前クララから「クララちゃんのダンスホール」となった。
初期の著名な常連客としては、ハインリッヒ・ツィレ (Heinrich Zille)(イラストレーター、写真家)やオットー・ディクス (Otto Dix)(画家、版画家)が挙げられ、後者はこのダンスホールのポスターも制作している。また架空の人物であるが、アルフレート・デーブリン (Alfred Döblin) 著『ベルリン・アレクサンダー広場』の主人公フランツ・ビーバーコップ (Franz Biberkopf) もこのダンスホールに足しげく通っていたことになっている。
1940年までは、一階の大ホールと二階の「鏡の間」に加えて地下にはボーリング場もあったが、1944年、ゲッペルスの命令により戦時下にふさわしくない催しが全て禁止されると、一階は食堂、喫茶店、二階は将校集会場として使用されるようになったということだ。
戦後はどのような変遷を経たのか、メニューの説明書きには書かれていなかったが、クララは1967年まで経営を続けていたとのこと。
(以上、メニューの説明の要約)
ワイマール文化が花開いた「黄金の20年代」。その雰囲気は今となっては文献や写真でしか味わうことができないが、このダンスホールに行けば、庶民の娯楽としての社交ダンスがどのようなものであったかを、その目と足で感じ取ることもできるかもしれない。もちろん歳月という上塗りを透かしてのことだが。
ホールへの入場は、特別の催しを別にすれば無料の日も多い。ダンスのオープンクラスなどの有料でレッスンも開催される。しかしホールで踊っているのはそのためのペアか、ダンスサークルのメンバー。一人で行って誘い、誘われるという文化は既にないのでご用心。【長嶋】
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※この写真は、このダンスホールの雰囲気をよく伝える作品として、クレールヒェンス・バルハウスのMs. Barbara Krijanovskyより提供頂きました。無断での転載はかたくお断りいたします。
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・【シリーズ】ベルリン廃墟スタイル
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