ベルリン


レーマーシャンツェ

ハーフェル湖の右岸に残る旧東西ドイツ国境跡。この痕跡もいずれ消えてしまうことだろう。

レーマーシャンツェ(Rmerschanze)(2003年8月10日)

今夏、ベルリンは連日30度以上を記録している。そんな中、週末に隣街であるポツダムへとサイクリングに出かけてみた。

ここに紹介するレーマーシャンツェは、そのサイクリング途中に立ち寄ったもので、ポツダム市のザークロー(Sacrow)地区の林の中にある。案内してくれた三宅氏によれば、ここはベルリン周辺では、確認される限り最古の集落跡だということだ。ザークローのハイランド教会を過ぎて自転車で15分あまり、ポツダム市街へと続く本道から、林道を入ったところにこの集落跡はあり、今でも集落を囲んでいた土塁がほぼ完全な形で残っている。

入り口に立てられた説明書きによれば、ここは紀元前1000年から紀元前500年の集落ということ。小高い丘の上に築かれているが、湖と森に隣接しており当時の狩猟・採集生活が偲ばれる。この付近の森は今でも自然が豊かで、たびたび訪れる三宅氏によると希には野生の鹿の姿も見かけるという。

レーマーシャンツェ(Rmerschanze)とは、そのまま訳せば「ローマ人の堡塁」という意味になるが、説明書きによればもともとは民衆によってロイバーシャンツェ(Ruberschanze)、「盗賊の堡塁」と呼ばれていたとのこと。それがいつ頃からどのような理由で「ローマ人の」と呼ばれるようになったかは書かれていない。蓋し聖職者等の知識人の関与があったのであろう。

この放棄された集落跡を、後にこの地に入植してきたドイツ人民衆は、おそらく盗賊(ロイバー)か何かの隠れ家だったに違いないと伝えていた。そこへ多少歴史の知識のある聖職者などが入ってきて、昔ここにはローマ人が駐屯していてこの遺跡はその駐屯地跡であり、「ロイバー」と民衆が呼んでいるのは実は「レーマー(ローマ人)」の誤りに違いないなどと文章に記録したのか。それがきっかけで「レーマーシャンツェ」に・・・などと勝手な想像を巡らせてみたりすると、柳田國男が隠れ里や落人伝説について書いていたのを思い出して、懐かしく感じられる。

この遺跡には、ポツダムとベルリンのクラードー(Kladow)地区を結ぶ697番バスで、近辺まで行ける。ポツダムの地図にも載っているのを確認しているが、見物に行くならば地元の人に案内を頼むのが賢明だろう。【長嶋】

(注)三宅氏:翻訳家、著作家。著書に『私のベルリン巡り』(中公新書)などがある。



ラブパレード
(7月12日)


兵どもが夢のあと
(7月13日)

ラブパレードの光と陰(2003年7月13日)

7月12日(土)、今年で15回目となる「ラブパレード」がベルリンで開催された。この「ラブパレード」、テクノミュージックの祭典で、ベルリン・ティアガルテン地区を東西に貫く「6月17日通り(Strae des 17. Juni)」は、この日世界最大の屋外ディスコになる。

一時期は100万人に達すると言われた参加者数も、去年に続き最少記録を更新し、警察発表では50万人あまり、主催者が予測した75万人には遠く及ばなかった。

合計で100人のDJを乗せた30台のトレーラーが大音響でテクノミュージックを流し、3.6 kmにおよぶ会場を、総計50万の参加者が半裸で踊り狂う様相はまさにカオスの極致。しかしそこはドイツの性(さが)とでも言おうか、秩序を維持する方も準備万端。15回ともなると手慣れたものと言う観さえある。

会場となる通りにそって、27ヶ所の仮設救護所、900人のスタッフと40人の医師が、ヒートアップした参加者、怪我人の救護に対応する。新聞報道によると429回の救急措置が行われ、45人が病院に搬送されたとのこと。

会場の両側には、ベルリンのセントラルパークとも言えるティアガルテン公園が広がるが、パレード後の清掃費用は会場内での飲料・食料販売利益が充てられる。このため主催者は無登録業者を排除のために会場および公園内の巡回にあたった。

会場である6月17日通りの清掃は、市当局の担当だが翌日の10時には、50万人がまき散らしたゴミもほぼ完全に撤去されていた。

あとはアンモニア臭を洗い流してくれる雨を待つばかりだ。【長嶋】

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ベルリンの余裕

891平方キロメートルと339万人。それぞれは、ベルリンの市域面積と人口であり、両者とも量的な指標だ。しかし二つの量が関係性を持つとそれは質的な指標になる。人口密度3805人/平方キロメートルは、東京区部の数値の3分の1以下であり、ベルリン市民生活の質的指標である。

これはベルリンの空間的な余裕をあらわしているが、市内に残された自然の豊かさもここに起因する。写真のカフェ「マリオネット(Marionette)」は、ハーフェル川に浮かぶ中州アイスヴェルダー(Eiswerder)に作られた小さなレストラン。対岸とは一車線の橋でつながっており、自動車や自転車、徒歩でも訪れることができるが、ちょっとした船着き場もあり船遊びの途中でのどを潤しに上陸することもできる。

夏、天気が良ければ、屋外に置かれたテーブルには、沢山のお客が陣取り、店主は注文をさばくのに忙しい。しかしそこはベルリン。東京のように、お客が空席を待って行列をなすといった忙(せわ)しさはない。

ベルリンを訪れる際、観光スポットを効率的に回ると言うのも悪くはないが、水辺を散策し、こんなカフェーで水面に映る緑を眺めながら、徒然を楽しむというのも一興ではないだろうか。

このハーフェル川の両岸は、「水の街シュパンダウ(Wasserstadt Spandau)」と名付けられ、ウォーターフロントの都市整備が行われている。【長嶋】




ビワの季節

6月から7月、この時期にベルリンでビワの実を見つけたのはもう何年前だろう。もちろん店頭で売られているものだ。南欧から運ばれて来るこの果物、普通のスーパーにはまず並ばないが、トルコ人が営む露天商の店先にはよく見かける。

驚くべきは、その価格。私が見つけたものは1キログラムで2.95ユーロ。ユーロがいくら高くなったといっても400円あまり。10個購入して2.65ユーロ、円換算で350円という安さだ。もちろん日本で売られているような高級品とは違う。粒もふぞろいで傷も少なくない。それでも口に入れると紛れもなく同じビワだ。

一度、ドイツ人に勧めたことがあるが、初めて食べるという人が多いのには驚かされた。もちろん"Mispel(ミスペル)"という名前も知らない。

食わず嫌いを揶揄するのに"Was der Bauer nicht kennt, frisst er nicht.(農民は知らないものは口にしない)"という言い回しがあるが、「農民」を「ドイツ人」に置き換えたいところだ。

この時期にドイツを訪れる旅行者は、トルコ人の八百屋をのぞいてみてはいかがだろう。思わぬ収穫があるかもしれない。【長嶋】

継続調査
年月日 値段(1 kg)
2004年6月26日 2.95 EUR


クリストファー・ストリート・デイ(Christopher Street Day)

6月28日(土)、今回で25回目となる”クリストファー・ストリート・デイ”のデモ(別名:ゲイパレード)が開催された。ベルリンの年中行事に数えられるようになったこの同性愛者のパレードだが、今年は"Akzeptanz statt Toleranz(寛容ではなく受容を)"のモットーを掲げて行われた。

28日正午、同性愛者でもあるベルリン市長クラウス・ボーべライトの合図でデモの行列が出発。スピーカーを搭載したトラックに、色とりどりのコスチュームに身を包んだ同性愛者が乗り込み、旧西ベルリンの中心街であったクーダムからポツダム広場、ブランデンブルク門を通過し、勝利の塔までをパレードした。ミニ・ラブパレードといったところだ。

p>東西ドイツ分裂時代、西ベルリンには同性愛者や兵役忌避者などが集まり、彼等のアジールの観を呈した。今日、このパレードの経済波及効果は、2300万ユーロにものぼっている。【長嶋】


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