社会/環境
エネルギーよもやま話後記【2004年6月22日】
「エネルギーよもやま話」に関して、環境問題として考えることがもっと大事ではないかなど、いろいろな反応がありました。筆者として説明不足な点も感じていますので、少し説明を補足しておきたいと思います。

 まず小生の基本的な考えは、エネルギーは経済問題だということ、環境問題は経済問題でもあるということです。この前提において、再生可能エネルギーが経済的にどういう可能性を秘めているかということを議論したかったわけです。

  だから文章の最後に書きましたが、環境問題についてはできるだけ書くのを避けました。また、ドイツの国としての政策はその説明に止め、できるだけ個人としてどういう考えを持っている人がいるかについて述べました。それは、ドイツの政策を評価することを避けたかったからです。同時に、ドイツの現在の政策は短・中期的な政策なので、もっと長期的な視野で考えることを前提としました。

 もうひとつは、現在のエネルギー市場の状況を把握して考えるということです。ここで前提となるのは、
1)電力自由化:
 自由化による競争激化で、電力会社は巨大な投資ができなくなっています。同時に、自由化による門戸の開放で、再生可能エネルギーで発電された電力を買えるようになりました。
2)原子力は必ずしも安くない:
  現在、ドイツで一番安い発電方法は、天然ガスを燃料としてガスタービンを組み合わせた発電方法で、それをコジェネとして利用すればもっと安くなります。た とえばドイツの場合、原発の半分以上は電力事業ではペイしていません。原発が事業として成り立っているのは、バックエンドのために貯えた引当金(課税対象 になりません)から得られる利益配当による収益があるからです。
 ただ、これについてはドイツと日本は比較できません。日本の場合、電力事業法か何かで、電力会社はコストに利益を乗せた形で電力料金を設定できるようになっているからです。つまり、必ず利益がでる仕組みがあります。
  現在、日本でもようやくバックエンドのコストに議論されるようになりましたが(電事連は2020年まで約19兆円と予測)、ここではまだ廃炉のコストが 入っていません。原発も老朽化しますから、いずれ停止して撤去しなければなりません。ドイツでは、廃炉コストは全体で6兆円と見積もられていますが、発電 容量を比較すると、日本では廃炉にドイツの数倍のコストが発生することが予想されます。
 日本の場合、これらのコストのほとんどをこれから集めるので、これはたいへんな経済負担となるはずです。いずれにせよ、原発は決して経済的ではない。

 これが小生の考えの前提です。

  環境問題、特に環境意識の問題についていうと、これほどたいへんな問題はありません。重要だけど、人間の意識改革は難しい。環境教育に関して、ドイツでは たくさんの機関がありますが、小生は基本的に自治体レベルで実施されるアジェンダ21をベースにしていくのが一番効果的ではないかと思っています。しか し、この問題はいろいろな方法とアイディアで、いろいろな方面から取り組まなければならない問題です。

 ライフ スタイルを変える必要もあります。つまり、省エネのライフスタイルです。ただドイツの場合、東西統一という問題があったので、統一によってライフスタイル の変更を強制された東部ドイツ市民のことを配慮して、今環境問題でそれほどライフスタイルの変更を求めていくべきではない、というのが政府の考えです。そ れよりはむしろ、省エネタイプの家電製品や建物の断熱材の補強、ボイラーなどの効率の引き上げで省エネを推進しようとしています。

  再生可能エネルギーが市場に出回りはじめた時、再生可能エネルギーで発電された電力の供給契約を結んだ世帯が、全体の4%もあったといいますから、小生は これだけでもドイツ人の環境意識はかなりすごいと思います。ただ、残念ながらこの数字は少し下がってきているようです。

 環境にやさしい電力を供給しようと、市民で自治体の電力公社を市民共同で買い取った運動もあります。たとえば、ドイツ南部のシェーナウというところでは、住民が原発で発電された電力を供給されたくないとして、配電会社を住民の力で買い取ってしまいました。

 一番の問題は、国民の意識改革を待たずに、地球環境を保護する施策をすでに実施していかなければならないということです。国民の意識改革を待っておれないのです。だから、意識改革のための施策も含め、いろいろな施策を平行してやっていかなければならないのです。

 政策的にいえば、電力を高く買い取ってもらえるので発電もやろうかという事業者が増えることを望んでいます。というのは、再生可能エネルギーは現段階では、普及すればするほど発電コストが下がるからです。

  再生可能エネルギー法による支援方法の元祖はアーヘンモデルといわれ、下から上がってきたものです。再生可能エネルギー法の一番の特徴は、政府が直接補助 せず、経済活動の中に補助システムを確立するもので、施策としては世界的にも画期的な手法です。すでに、スペインやフランスなどがドイツと同じような方法 で再生可能エネルギーを支援しています。この施策がドイツで再生可能エネルギーが普及してきた一番の功労者なのです。

  政府がこれまで補助する手法としては、税金を資金源として直接補助するだけなのですが、経済活動をどういう形で平等にかつ効果的に支援するか、そしてその 負担をどう平等に分担するかという点が問題になります。それでドイツが取った手法は、施設の設置には有利な融資(資金源は税収から)、運転については経済 活動の中での補助(再生可能エネルギー法)をと、分担したわけです。

 経済の現実を見ると、すべて補助次第に なっていることがわかります。工場誘致は、いろいろな公的補助を付けることによって実現されているのが現状です。そうしないと、誰もきてくれません。研究 開発もすべて補助の取り合いです。農業も補助がないと成立しません。何をいおうが、既得権益者がこれまで一番補助に恵まれてきたと思います。金融機関もし かりで、経営危機になると、最終的に補助で救済されます。経済にとって、経済性があるかないかは重要な問題です。しかしだからといって、現在の経済性だけ で比較してはならないのではないかと思っています。

 再生可能エネルギー法による補助は、経済的な魅力を持たせるための手法として、経済目的で設置して事業を展開するのを促進することを根本にしています。同時に法律は、大手との価格競争に負けてしまいわないための保護機能を果たしています。

  再生可能エネルギーからの電力を販売している電力会社のほとんどは、自治体所有の小規模な電力公社です。これは、再生可能エネルギー法の支援を得てビジネ スをしたほうが、大手の大きいところとの価格競争の影響を受けにくいからです。まあ、もちろん大手は卸が中心だという違いもありますが。

  再生可能エネルギーは、ちょっと前まで総発電量の3%程度しか電力を供給していませんでした。現在もまだ8%です。こういう状況では、再生可能エネルギー がベース電力になることは当分ないと思います。だから、問題はどうやって育てていくか、普及させていくか、競争力をつけていくか、技術的な問題を解決して いくかなどが、問題になります。

 たとえば本文に書いたように、再生可能エネルギーの普及と同時に、発電量に変 動があるのでそれをカバーする電力が必要なことがわかってきました。再生可能エネルギー運転者はまだ未熟で、発電拠点が分散化されているという問題をどう 調整していくかまだ十分な経験がなく、今後それに対処するための経験を蓄積していかなければなりません。それから、この問題を技術的に解決するため、発電 された電力で水素を製造して燃料電池の燃料にすることも考えられています。

 問題はむしろ環境意識でなく、再生可能エネルギーに対してこういう保護機能を持たせてぬるま湯につからせた場合、運転事業者がコスト削減の努力をして独り立ちできるようになるかどうかの問題です。そうしないと、再生可能エネルギーは経済活動としては経済性のないもので終わってしまう危険があるからです。この点に、政府と産業界の見解に違いがあります。政府は、生まれたばかりの赤子を冷たい海(市場)に投げ捨ててはすぐに溺れてしまうではないかという考え。それに対して産業界は、かわいい子には旅をさせろではないが、はじめから厳しい条件の下においたほうが経済性が早く達成できるようになるという考えです。もちろん産業界の本音は、高い電力はいやだということです。

 それで再生可能エネルギー法の目的は、再生可能エネルギーを経済性があるように育成すると同時に、より普及させることで製造コストが下がるように仕向ける、そして、その結果として環境効果を上げるということです。

 欧州レベルでは、欧州指令の形で2010年までに域内全体で再生可能エネルギーの比率(電力消費で)を22.1%にすることを目的にして、各国の現状に応じて各国が達成すべき比率が規定されています。欧州委は再生可能エネルギー推進策を統一したかったのですが、反対があって各国独自の施策でやることになりました。しかし欧州委が目標値が達成できないと判断すると、強制的に施策を規定することができるようになっています。ただ、施策統一の実現性は薄いと思います。

 再生可能エネルギーの問題は、これだけでは考えられず、電力自由化、排出権取引(京都議定書)、環境税の導入など環境に関連するいろいろな施策と一緒に考えなければならないと思います。

 いずれにせよ、環境ではやはりドイツが牽引車で、二酸化炭素排出量の削減でもEUは京都議定書に従って削減する分の半分近くをドイツに依存しています。もちろん、経済活動が一番盛んだということもあります。ただ、これら環境関連施策すべてに関して、ドイツの経済界が不満に思っているというのが現状です。

 EU全体で考えると、財政負担の問題、農業補助の問題、地域格差の均衡化、労働力の移動などなど、ここでもドイツの負担はたいへんなものです。EUがこれだけ大きくなると、国家というものの位置付けが難しくなっているのも事実で、EU拡大に対する不安などで余計に国民を内向きにしている面があると思います。

 ここで問題になるのは、企業は人間よりも自由に移動できるということです。企業の移動は正直なところ、お金で優遇することでしか止め用がない。もちろん、人間も移動できますが、企業は賃金の安い場所を求め、人間は賃金の高い場所を求めます。それで、グローバル化で活動空間が大きくなれば大きくなるほど、この傾向が強くなる。そうすると、どうしても国民は内向きになってナショナリズム化しやすくなると思います。

 しかし、もう世の中はすべてのことを国家レベルだけで考えていては駄目な時代に入ってきています。それで、経済活動(企業)と人間の生活のギャップは益々拡大していくと思います。

 こうした流れの中で、グルーバル化する経済(大企業中心の)に対抗して人間が地に足をつけた形で経済活動に参加できる手法は、経済の分散化ではないかというのが小生の考えです。つまり、大企業という上からの流れと、市民をベースとした下からの流れを作るということです。これは、流動性が大きい流れと流動性のない流れといってもいいかもしれません。

 それで、その下からの流れをつくるひとつの手段が再生可能エネルギーになるのではないか。地域通貨などもそのひとつの手段になるかと思います。

 本文で、発電拠点の分散化とバーチャル化で経済にダイナミック性をもたらすといったのは、個人などが小さな発電設備を持って、それをネットワーク化させて大きな電力供給網とすることなどを考えています。それで、小さな機械の需要が増え、それのメンテナンスなどに必要なサービス業が地元に生まれ、現存の資本層とは違う新しいビジネスが地元に生まれることを想定しています。もちろん、企業などが副業で発電していいし、農家が家畜の糞からバイオガスを回収して発電することも考えられます。つまり、いろいろな手段を利用しなければならない。

 こういう形で分散化した経済であれば、賃金の高低はそれほど大きな問題にならないのではないか、と小生は想定しています。本文で流動性について触れていますが、流動性が少なくなれば、価格の高低や賃金の高低は市場においてそれほど重要な要因にはならなくなると思うからです。地域通貨の基本的な考えも、ここにあると思います。

 ネットワーク化するのは、発電量の変動に応じて地域同士で融通することが必要になるからです。地域通貨は地域でしか通用しない通貨で、地域に資本が残って使われ、外にいかないことを目的にしています。そして、足りないものは、たとえば地域間で交換します。こうして、流動性を地域に限定させます。資本による配当利益が上がらないようにするため、地域通貨を長くもっていればいるほど、その価値が下がるようにしているモデルもあります。ベルリンでは、最近になって「ベルリナー」という地域通貨が誕生しました。地域通貨の試みはまだはじまったばかりで、現在いろいろと試行錯誤されていますが、これは経済を分散化させるひとつの有効な手法になると思っています。【fm】


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フリーランスのリサーチャー、翻訳者、通訳者
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