ビスマルク(ヴィルマースドルフ)写真は再建されたもの
像の人物
オットー・フォン・ビスマルク (Otto von Bismarck) (1815-98)


備考
設置場所
Bismarckplatz東側
(Wilmersdorf)

制作者
Klein, Max

建立
1897年

破壊/消失
1943年

再建
1996年
資金提供:
Stiftung Deutsche Klassenlotterrie Berlin
Bankgesellschaft Berlin AG
Heimatverein für den Bezirk Wilmersdorf e.V.
【コメント】
 この像は1897年に設置されている。当初の建立にあたって、周辺に広がる邸宅街グルーネヴァルトのイニシアティブがあったことは、第二次大戦中に破壊された台座に刻まれていた碑文 "Dem Fürsten Otto von Bismarck die dankbare Kolonie Grunewald" からわかる。
 ビスマルク像といえば、ティーアガルテンの勝利の塔に向かって立つ像が有名だが、このグルーネヴァルトのビスマルクは、帽子をかぶり犬を連れて、くつろいだ雰囲気を漂わせる。散歩の途中といった感じだ。上野にある西郷隆盛像を思い起こさせる。ドイツ帝国建設の主人公と明治維新の立役者、似ていないこともない。


 設置されているビスマルク広場 (Bismarckplatz) は、フベルトゥスアレー通り (Hubertusallee)が貫通する。この通りは、ビスマルクにゆかりのあるベルリンの目抜き通り、クアフュルステンダム (Kurfürstendamm) と結ばれている。その道は、ビスマルクの構想でパリのシャンゼリゼ通りを模して作られた。
 19世紀の後半、ベルリンは都市中心部の人口増加に悩まされていたが、もともとは草の生える田舎道に過ぎなかったクアフュルステンダム通りを拡張し郊外と結ぶことで中心部の人口過密を解消しようと提案したのはビスマルクだった。彼は、まだ宅地化されていない西ベルリンに53メートルの幅で大通りを建設することにこだわっていた。このこだわりが、グルーネヴァルトを道路拡幅の代償として売却することに繋がる。最終的には、ドイツ銀行等によって設立されたクアフュルステンダム株式会社が通りの拡幅を行い、クアフュルステンダム開発の見返りとして払い下げられ、高級住宅地として開発されたグルーネヴァルトを分譲することになった。しかしそこにまで至るには、ビスマルクの多大な力添えがあったということだ。このことが、ビスマルク像をここに立たせている理由なのだろう。いずれ住民あるいは開発者がどのように建立を決意したのかについても調査してみたい。
 像は1943年に消失しているが、最初の建立からほぼ一世紀後、1996年に再建されている。【2004年5月6日】【長嶋】

【参考文献】
Endlich / Warlitzer (Berlin, 1990)
Kohut, Oswald, Als der Grunewald eines Tages als Villenkolonie erwachte (eigentlich in: 30 Jahre Grunewald-Echo. Jubiläumsnummer 1929, S.3-6), in: Gläser / Metzger u.a. (Berlin, 1993)
Schwenk (Berlin, 2002)


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